P log -2ページ目

海馬

海馬と言うと、何やら水棲哺乳類っぽい。

打ったままのログの一部

今では、正青直にいつの名間にか、人はこんにな首に風にして老いいていくのでしょうか。制作者の意図行通りに閲覧するようになっていました。いたのに今気たが付きました。

おけ屋

 風が吹くと、おけ屋がもうかるらしい。
 ということは、おけ屋がもうかれば、風が吹くということだ。

 まず、おけ屋経営陣を千人ほど集める。
「今のトレンドは、装飾おけだ!」
 社員一同、気合を入れて働く。
「うおおおおぉぉぉぉぉぉ」
 うおおおぉぉぉ……。
 ごおおぉぉぉ……。
 ゴー

 タービンが回る。
 これで、環境問題は解決するはず。

三点大将

 リーダーちがい……。
 「・」は、「ジップ・デ・クーレ」などの場合に使うので、区別しなければならないと思いました。
 ジップ氏の名前を出したかっただけだったりする。

饒舌になること

ただ言葉を重ねるだけではいけない。饒舌になるために饒舌になるのではない。現実を掘り起こすために饒舌になるのだ。

きざし

ちょっと前まで、フレームを使っているサイトを見るときは、「へっ! フレームなんか使いやがって!」と憤慨し、わざわざフレームに分かれている方のページにアクセスして、閲覧していました。
それがいつの間にか、正直に制作者の意図通りに閲覧するようになっていたのに気が付きました。
人はこんな風にして老いていくのでしょうか。

人を呪わば穴二つ

何かいい言葉ですね。
「穴」と言っているところがいいですね。「墓穴」とはっきり言うと、興醒めしてしまうでしょう。
「凄惨な死をむかえるぞ!」とかではなく、「穴が開きますよ」なのも、つつましやかでいいですね。
まるで悪魔が乗りうつったような、映画「シャイニング」のジャック・トランス風の顔付きで、ひたすらシャベルを動かす人。
何かに気付いたように、後ろを振り返る。自分が掘っていた穴と同じ形の穴が開いている。彼の表情は見えない。
みたいな。

動物感覚

 この間、動物感覚(テンプル・グランディン著)という本を読みました。
 その中に、こんなようなことが書いてありました。

「動物は痛みを感じるのか。もし感じていないとしたら、生存が厳しくなるので、感じているというのが大方の見回だ。
 では、どのくらい痛みを感じているのか。
 人間の病気に、痛すぎて動けなくなるくらい、痛みが増幅されて感じられるというものがある。
 それは、前頭葉を切り取ることで治る。
 切り取った患者に、痛みを感じているのかと聞くと、感じていると答える。ただ、その痛みが気にならなくなるのだと言う。
 同じ行為をして、同じだけの痛みが伝わってくるのに、それが気にならない。動物の痛みの感じ方は、こういう位置にあるのではないかと思う」

 今手元にこの本がないので、うろ覚えですが。前頭葉じゃなかったかもしれないです。そもそも、脳を切り取るだなんて荒療治、許されるのかというところに、フォローがあったような気もします。でも、とにかくこんな感じでした。
 私は、今まで何度となく、この疑問をこねくり回していたので、「こういう答えもあるのか」と心にしみ入りました。もちろん、こんな単純な答えではすまないのかもしれませんが。

 それよりずっと前に、おそろしくてめったに見ない、自分の過去に書いたブログ記事を読みなおす、ということをしました。
 思い返すのもおそろしいので一言で言うと、痛々しくて見ていられないわけです。
 剣山ってあるじゃないですか。あれを踏むと、何とも言えない気持ち良さがありますよね。
 そんな心持ちで、「痛いんじゃないかな、痛いんじゃないかな」と思いつつも、踏んでしまいます。そのたび、足の裏は血だらけです。剣が少ないと、そういうことになります。
 それが、前回のは、さほど痛くなかったのです。血は相変わらずドバドバ出ていますが。
 何か神がかった奇跡が起きたのか、誰かに前頭葉を勝手に切り取られたか、少し私の物の見方が変わったのか、そのどれかだと思います。

時空間的著作権

 今の自分と昔の自分は、同じ人でしょうか?
 法律上は、昔自分が作ったものは、とりあえず死ぬまでは自分のものですが、それでいいのでしょうか?
 「確かにあれはxxxさんが作ったものだが、往年のxxxさんがそれを持つにあたいするとは思えない」の、xxxに入る名前は、一人や二人、いないでしょうか。
 若い頃のあの人は、とても精力的で、魅力があった。それがにじみ出ていて、あれはとても良い作品だ。
 ひるがえって、今のあの人ときたら。時間と世間とその他の薄ぎたないあれやこれやで、だめになってしまった。しぼりかすとしか言いようがない。惰性で生きているとしか思えない。まるで……別人だ。
 そうでしょうそうでしょう、まるで別人、いいこと言いました。それは、本当に、ある意味で別人なのかもしれません。
 なので、それを作り終わった前後十年間に、その作品の所有権を与えるというのはどうでしょう。

 何言ってんでしょうね。後はともかく、十年前に所有権を与えるなんて、どうやるんでしょうね。極端な例を出してから論を進めるのは、反則だと思います。

いつの日からか

いつの日からか、早寝早起きをするようになりました。
「健康的なのはいいことだと自分に言い聞かせればいいんじゃないか」と思ってからしばらくの間、うまくいかなくてイライラしたのは覚えています。
それから何ヶ月か経ったころくらいから、いつからか。いつ、どんな時にそれがうまくいったのかを、思い出せないのです。
「まあ、結局健康的な生活を送ってるんだし、結果オーライじゃないか」というのもありですが、それだと、もう一度何かをしたい時に困るというわけです。